「レシピは設計だ」と気づいた、初めての調理体験


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滝村さんとは立命館大学産業社会学部時代からの友達。卒業してから30年以上を経て、2050みらいごはんで対談するなんて思ってもいませんでした。サラリーマンを経て、今は2つの肩書きで活動されているんですね。
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「パパ料理研究家」と「ありがとう料理研究家」です。2009年4月3日に株式会社ビストロパパを立ち上げて、最初は「パパ料理研究家」と名乗りました。2025年から自分の経験や伝えてきたことの根っこにあるコンセプトを整理して、「ありがとう料理研究家」の肩書きを増やしました。
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パパ料理研究家ってどう捉えたらいいんでしょう?
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1997年に結婚した当初は共働きで、長女が生まれるまではほぼ100%外食。子どもが生まれて、初めて知ったんです、赤ちゃんがいると外食できないことを。でも味覚は外食に慣れているから、スーパーで料理本を見ながら材料を揃えて鯛のカルパッチョとトマトソースのパスタをつくったら、それまでほとんど料理をしなかったのにとてもおいしくて!レシピは設計図だと気づきました。レシピ通りにつくれば世界中の料理ができるのではないかと思ったし、レシピは分解すると材料とつくり方になるという事実を身をもって知りました。
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レシピやレシピ本って、魔法の書のようですね。
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あるいは手品のタネ明かし。タネがわかれば再現できます。照り焼きは専用の調味料を使うのではなく、砂糖・みりん・酒があればつくれます。知らないだけでした。そこに気づいた瞬間、目の前に大海原が広がるように感じたんですよね。
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料理を面白いと思った。
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変なスイッチが入って、週末になると料理をするようになりました。本屋で料理の本を買ってきて、2、3時間かけてつくって「おいしいね」と盛り上がって、酔っぱらって寝ていました。
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つくるのが楽しい。振る舞っておいしいと言ってもらうのが楽しい。
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洗いものは妻がやっていました。ところが、ある時、妻が口をきいてくれなくなったんです。それで、自分が料理に夢中になる間、妻が洗いものをしていたことにハッと気づきました。自分はキッチンでゴルフをしていただけで、妻にキャディをさせていたんですよね。男の料理と、パパの料理は軸が違うとわかったんです。
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軸?
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男の料理は自分軸です。自分が食べたいものを、自分のためにつくる趣味の料理。一方、パパ料理は家族軸。妻や子どものためにつくる家庭料理です。パパ料理は、言い換えれば思いやり料理です。私に欠けていたのは思いやりでした。
「パパ料理研究家」として活動スタート


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その失敗からパパ料理が大事だと気づき、2005年から「パパ料理研究家」というコンセプトでブログを書くようになりました。「毎日ブログを書く」と決めて、途中でnoteに移行して今も毎日更新。20年になります。ビストロSMAPやクッキングパパのイメージからタイトルは「ビストロパパ」で、サブタイトルは「家庭内週末レストラン」。家で週末レストランを開く父親の料理ブログ、という位置づけでした。
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家庭のできごとを社会化させていったということですね。
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世の中に料理研究家はたくさんいますが、娘が生まれるまで料理をしていなかった料理研究家はほとんどいないと思います。だから私は、料理をしない人の気持ちが一番わかる料理研究家なんです。料理をこれから始める人にとって、レシピはとても大事。感覚でつくれと言われても、そうできないから今まで料理をしてこなかった。だからこそ「この通りにすればカルパッチョができます」と伝えたい。まず料理を楽しいと感じてもらいたいと思っていました。
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おいしいものをつくること自体がゴールではないんですね。
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私の場合は家族がいたからつくった。もし一人だったら、料理はしていなかったと思います。大切な人と食卓を囲み、「おいしいね」と言い合いたい。いつしか、家族のために料理をつくる父親を増やしたいという思いが強くなっていきました。
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会社を辞めて起業したんですよね?
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2年間毎日ブログを書いて、本物だと思えたんです。妻に「会社を辞めて独立しようと思うけど、どう思う?」と聞いたら、「いいんじゃない?パパならできるよ」と言われて決めました。自分だけでなく、共同で決裁した形にしたかった。それは大事なことでした。これからは「職業を創る時代」だと思っていたのも起業への背中を押しました。僕の場合、料理研究家だけでは勝てないから、意識したのは「ツーワード・オンリーワンブランディング」。「パパ」だけ、「料理」だけでは一番になれない。でも「パパ×料理」なら誰もいない。2つの言葉を掛け合わせることでオンリーワンになれる。小さくても、その分野では頂点に立てるんじゃないかと考えていました。
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高い山に登るのではなく、自分で山をつくる。
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パパ料理業界じゃトップだから、それぞれの業界を並べたら、例えば、プロ野球界のトップのイチローさんと肩を並べることができる!と思いました、ちょっと言い過ぎですけれど。実際、「パパ料理研究家」として活動していたから、声をかけていただけたと思います。料理研究家はたくさんいます。「パパ料理研究家」と言ってなかったら、僕を見つけてもらえなかったと思います。
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確かに。
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ニッチでもいい。10人にしか刺さらなくても、その10人に100%伝わればいいんです。この10人からじわじわ広がって、結局は違う人が僕の価値なりを見つけてくれて、いろんなご縁がつながるんですよ。
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そうすると自分らしい生き方ができますね。


「食べてくれてありがとう」を教えてくれた長女の存在
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その頃かな?立命館大学の校友会報の表紙になっていましたよね。赤いエプロン姿が印象的でした。
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あのエプロンは京都の一澤信三郎帆布とのコラボです。「父の日にエプロンを贈る文化をつくりたい」という思いを込めて、ビストロパパと一澤信三郎帆布のWネームのエプロンをわざわざつくっていただきました。また、アパレルメーカーを経営されているパパ友といっしょに、子ども向けの「コテツダイエプロン」もつくりました。パパと子どもでエプロン着てキッチンに立ってほしくて。
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お手伝いじゃなくて、「コテツダイ」。
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子どもの時ってバスの降車ボタンを押したかったでしょう。その気持ちとお手伝いしたい気持ちは似ています。3、4歳の子どものお手伝いはお手伝い未満、でも役に立たないわけではないです。買う、取る、のぞく、触る、回す、こねる、むくなど包丁や火を使わなくてもできることは多い。それを「コテツダイ」と名づけました。「やりたい気持ち」はその時にしかないものだし、親子でキッチンに立つ時間はかけがえのないものです。お父さんと子どもが料理をつくる世の中にしようと思って日々活動していましたが、2012年1月12日に長女のゆりかが8歳8ヶ月で天国に行きました。小児がん、脳幹グリオーマという非常に厳しい病気で、いまだに完治する治療法は見つかっていません。2011年2月に発症して、あっという間に歩けなくなり、しゃべれなくなり、四肢不自由になりました。でも唯一、動く右手でスケッチブックにたくさん絵を描いてくれたんです。その絵のひとつをビストロパパと一澤信三郎帆布のコラボエプロンに取り入れました。 最後のひと月、ゆりかは点滴で生きていました。僕は、毎日料理をつくって、人に料理を教えているのに、自分の娘は食べることができない。つくったものを食べてくれる娘がいたことの幸せやありがたさに気づきました。同時に、子どもたちが独立して家を出るまではずっと一緒にごはんを食べられると思っていたけれど、家族で食卓を囲む回数は有限なんだということにも気づきました。ゆりかが教えてくれたんです。その時に心から思ったのが「食べてくれてありがとう」。それをもっと広めたいと思いました。「ありがとう料理研究家」と言っているのは、「食べてくれてありがとう」という気持ちを伝えたいと思っているからです。
「ありがとう料理」に込めた3つの思い
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「ありがとう料理研究家」とアナウンスするようになったのは去年。この時期に、このメッセージをスタートしたのはなぜでしょう?
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次女が20歳になって、自分の伝えるメッセージがパパだけではなくなってきたんです。
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「パパ料理研究家」だとパパに限定しているから、間口が狭いなと思っていました。「ありがとう料理研究家」と言われると、子どものいない人にとっても入りやすいです。
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地域の健康講座などで話をする機会があるのですが、平均年齢が高いんですよ。80代の方に「パパ料理研究家」という肩書きはちょっと合わないでしょう。「旦那さんや家族のためにつくるといいですよね」と言っても、半数ほどの人に旦那さんがいなかったりする。自分の中にあった「ありがとう料理」という言葉がフィットするな、と。 ある健康講座で、80代の女性から「施設に入ったけど、食事がまずい。どうしたらいい?」と質問をされました。これ、「パパ料理研究家」では話が広がらないんです。ところが「ありがとう料理研究家」だと「そうなんですね。今までおいしいものを食べていたら、なかなか口に合わないかもしれないかもしれませんよね」と返せるんです。「でも、自分の手で、自分の口で食べていらっしゃいますよね。それって実はすごいことじゃありませんか。同じ年齢でも、自分で食べられないし、不自由になっている人もいらっしゃるでしょう。自分で食べられること自体がすごく素敵なことです。健康な心と体の自分にありがとうという気持ちで食べられるかもしれませんよね」と話せるようになりました。
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「ありがとう料理」にはどんな意味を込めていますか?
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「ありがとう料理」には3つのありがとうがあります。1つ目はいただきます・ごちそうさま。これは食べ物の命に感謝するありがとうです。2つ目は生産者やつくってくれた人へのありがとう。3つ目が一緒に食べてくれる家族や仲間への「食べてくれてありがとう」。これは誰も言語化していないんじゃないかなと思います。娘が食べてくれていたという強い思いがあってのことです。
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ご自身の経験から生まれた考えですね。
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「食べてくれてありがとう」には、自分に対する「食べてくれてありがとう」もあります。健康な時って、日々食べたいものを食べられて食事制限もないですよね。おいしいと思えるのは、健康だからなんですよ。病気になったり年を取ったりすると、自ら噛んで食べられなくなることもある。人間は自分で食べられなくなっても生き長らえますが、自分の手で持って口に入れて食べることが「食べる」だと思います。 長女のこともあり、がんについて学び、健康料理も実践し、お酒もあまり飲まず、外食もせず、ぬか漬けや玄米生活もしていた僕が、3年前にステージⅠの直腸がんになりました。今、直腸はありませんが、体の中にがん細胞はなく元気です。
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そんなことがあったんですね。
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9時間に及ぶ手術を受け、絶食し、体中に管をつけました。入院中は毎朝、病院から外を見ていました。夜中から朝になる瞬間、夜明け前がいちばん暗くなるんですよ。一瞬真っ暗になってから日が差していくのを見て、思ったんです。今しんどい思いをしている人は真っ暗闇の中にいると思うだろうけど、これは夜明け前なんだ、だから心配しなくていいんだって。その時、「食べてくれてありがとう」は自分にも向ける言葉だと気づきました。自分が健康で元気だから食べられることにありがとうなんですよ。
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ありがとうって「有り難い」と書きますよね。有ることが難しい。食べることでそれを思い出すというメッセージですね。妻の手料理にもありがとうだし、外で食べるものもそれを提供するために働いている方がいる。その食材を育てている人もいるし、それを運ぶ人もいる。そういうリレーで届いていることに気づきます。ありがとうって言える社会ってすごく素敵です。今は孤立や孤独の問題があって、高齢になるほど一人暮らしも増えていく。その中で、食に関わるすべての人にありがとうと言える。それだけでもつながりを感じて生きていけますね。
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「食べることは生きること」という言葉は本当にそうだと思います。
食を入り口とするコミュニティづくり


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私が広めているメッセージのひとつが「共食」。家族のために料理をつくり、共に食事をすることが自分のウェルビーイングにつながります。誰かと一緒に食事する回数が多い人は心と体のバランスが良いというデータがあります。複数で食べると野菜や果物も自然と増えて品数も多くなるけど、一人暮らしだと牛丼だけ、みたいになりがちでしょう。また、一緒に食べることでストレスが軽減され、自己肯定感が上がり、心も豊かになります。コミュニティづくりでも、食事や会話は大事な要素です。
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コミュニティと共通の語源を持つ「コミュニオン」は、パンとワインを分かち合う聖餐を意味する言葉です。共食は、コミュニティの原点の一つなのかもしれません。
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一緒につくることや食べることがコミュニティの継続や参加してよかったと思えることにつながるんですよ。仕組みづくりが重要だと思います。
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これから人生100年時代、食事の回数も膨大になる。その一回一回がただの栄養摂取ではなく、みんなで食べられる機会が増えて「ありがとう」と思えると、生き方自体が変わってくるでしょうね。
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「手料理が大事だ」「健康的なものがいい」「おいしさ重視」などいろいろな価値観があって、どれも大切だと思うんだけど、僕は楽しく食べることが最も大事だと思ってます。全部ジャンクでもいいんですよ。きれいに食べなさいと言われ続けたり、しつけが厳しかったりすると、食事の場がとにかく楽しくない。
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「楽しい」は大事。
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楽しくないと、その食卓には戻らないと思うんですよ。コミュニティでみんなで食べるとしても、多分楽しい思い出がないと、戻ってこないんじゃないかな。
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コミュニティはサードプレイスのように、いろいろな居場所があって選べることが大事かなと考えています。ひとつのコミュニティに縛られるのではなくて、複数のコミュニティを選べる、いろんなところに居場所があって、その時々で自分に合っているところに行くというような選択肢が増えると楽しいだろう、と。
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自分の価値観で旗を立てたコミュニティは居心地がいいですね。入ったことがない人は、一度思い切って入ってみると、ものすごくいい出会いが待っているんじゃないかと思います。
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いろいろなコミュニティがありますが、食が入り口のコミュニティがあればいいなと思っています。食ってすごく自然な行為で、人間にとって当たり前にあるものだから。では、滝村さんが提唱する「ありがとう料理」を社会化するためには何が必要なんでしょう?
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「ありがとう料理の会」みたいなお祭りを催して、同じ思いを持った人が増えていく形にするのはありかなと思います。
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「ありがとう料理祭り」ですね。
日常こそ「ありがとう」で満たしたい


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人が集まる非日常的なお祭りも大事だけど、最小単位のありがとう料理の普及も大事だなと考えています。僕は日常の食卓が一番わかりやすいフィールドだと思っています。例えば、お刺身を食べる時に醤油を探していたら、娘が「はい、醤油」と渡してくれた瞬間に間髪入れず「ありがとう」と言えるかどうか。「この人は自分がありがとうと言っているのを見ている」と意識しながらでもいいと思います。ありがとうと言われて気分が悪くなる人はいませんから。
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自分にとっても良いし、相手にとっても良い。「ありがとう教」を立ち上げたほうがいいですね。教えとして広げると教育が大事になりますね。
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子どもへの教育というより、大人にありがとうが足りないと思っています。ありがとうを言うことで、いい大人だと思われるような社会でもいい。特に年上から年下にありがとうを言うことが大事です。
食空間の充実とウェルビーイングの実現へ。
2050みらいごはんの可能性


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2050みらいごはんは、「2050年の食環境をどうデザインするか?」を考えていこうという田中浩子先生の発想からスタートしたプロジェクトです。2050年に僕らは80歳になりますが、その時に何ができるのか?1970年代生まれのX世代は、バブル崩壊、就職氷河期、阪神大震災、オウム真理教事件、リーマンショック、東日本大震災、コロナなどを経験してきました。アナログとデジタルの両方を知っている世代でもあります。AIも使いこなしつつ、ものづくりの喜びも知っている。だから上下の世代をつなぐ役割もあると思います。その中で2050年に向けてどう生きるか。
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すべての人は平等だと思っています。社会に望むのは、役に立つ人は何歳でも役に立てる社会であってほしい。自分自身も生涯現役でいたいですね。80歳になったら、79歳の人に料理を教えていたいと思っています。
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その人がその人らしく生きていけるように成長できる手助けをされるってことですね。
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僕らの世代は社会のさまざまな変化や転換とともに生きてきたでしょう。コロナ禍では社会全体が大きな変化を迫られましたが、僕自身、仕事のスタイルが激変しました。もともとデジタルには強かったのですが、オンライン料理教室をワンオペで配信できる仕組みをつくりました。試行錯誤を経て、今はYouTubeライブとZoomで100人以上に教えながら、複数カメラやスイッチング、テロップ、効果音などを使って一人で料理教室を運営しています。
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スマホとカメラ複数台を切り替えて、全部一人でやるってすごいですね!
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2時間ほどのライブ配信はそのまま流し、後で10分ぐらいに編集しています。日本でトップレベルのノウハウと運営ができていると思います。日本中・世界中の人がオンラインでつながり、一緒に料理をつくることがもっと広がればいいなと思いますね。一人で料理している人も、オンラインで誰かと一緒に夕食をつくれば孤独ではなくなる。国や文化を超えてつながることもできます。
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それは面白い。その国の人が自慢の料理を教えたりして、異文化交流。
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オンラインでもリアルでも、場所が違っても「つながっているキッチン」があっていいと思います。
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コミュニティデザインとはコミュニティをつくることではなく、コミュニティの力で課題を解決していくこと。今の話を聞いて、2050みらいごはんは、食空間を充実させ、ウェルビーイングを実現するコミュニティデザインになり得ると思いました。
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リアルとオンラインは優劣ではなく、それぞれ良さがあります。リアルは会うことやコミュニティそのものに価値があります。一方、オンラインは家が料理教室になるエンターテインメント性があり、終了した瞬間に家庭の食卓が完成しているのも特徴。料理教室でありながら、そのまま家庭のごはんになるという点が面白いところです。
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孤独や孤立の課題に対しても、つながるヒントがありますね。2050みらいごはんでぜひ企画したいです。
料理を起点に広がっていく食育哲学「ありがとう料理」


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家族のためにつくることを目指した「パパ料理研究家」を起点に、現在は「ありがとう料理研究家」としてありがとう料理の思想を提唱されている滝村さん。レシピ展開だけではなく、オンライン料理教室や「ありがとう」という思想の発信へと広がっていっているのが面白いと思いました。料理をしながらも、料理の外へ広がっているような、視点が変わったような印象です。いろんな領域に通ずる話になってきました。
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レシピじゃなくて、その人の思想や生き方などアイコン的なものが重要になってきていると思うんですよ。今、料理界隈で自分の顔は出さずに料理写真とレシピだけで勝負をするインスタグラマーなどのインフルエンサーの方もたくさんいらっしゃいます。一方、僕は顔面を出して全部自分でしゃべって、さらけ出しています。包み隠さず滝村雅晴という人間くささをだしている。自分の言葉で話す人間、そういう立場の人がAI時代にはより大切になってくるのではと思います。
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その土台には社会貢献があるんでしょうね。改めて聞きますが、滝村さんの目指すものは何ですか?
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「一緒に食べれば笑顔になる」を会社のメッセージに掲げました。パーパスは「家族や仲間と食卓を囲む回数は有限です」で、ミッションは「ありがとう料理でみんなを笑顔と健康に」です。働きながら共食できる世の中にしたいし、パパ料理を当たり前にし、親父の味を文化にしていきたい。家庭料理を通してジェンダー平等の社会をつくることを望んでいます。それが実現すれば、誰もが自分らしく生きる世の中になっていくことにつながるんじゃないかなと思うんです。
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教育や子ども、家族、そこから社会へとつながることに取り組んでいくってことですね。
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もう少し具体的に言うと、デジタル食育オンライン教室を誰もが活用できるようにしたいですね。あと、「知産知消」。
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地元のもの、土地のものを地元で食べる「地産地消」ではなく?
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知り合いがつくり、知り合いが消費する。それがありがとうにつながるし、ウェルビーイングを高めると思うんですよ。
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ありがとうが循環する社会をつくる、ということでしょうか?
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社会にすると間口が広すぎるから、食卓ですね。トップにあるのは、「ありがとうが循環する食卓をつくる」という食育哲学です。
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なるほど。今、腑に落ちた。ありがとうが循環する食卓、いいですね。
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みんなそれぞれにあると思うんですよ。山本君の場合はそれが食卓じゃなく、ありがとうが循環するコミュニティとか。
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そうなると、コンセプトはちょっと違えど、目指すところは似てるのかもしれないですよね。
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みなさんの究極の上位概念って、最終的には世界平和だと思うんですよね。 その中で、自分はどの役割を担っていくのか?
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その概念に、食はすごくマッチングしますよね。
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2050みらいごはんもその上位概念を傘にして、ありがとう料理のプロジェクトがあったり、他の企画があったりになるのかなと思いました。
山本 あつし
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名古屋学芸大学メディア造形学部デザイン学科准教授。1971年大阪生まれ。システムエンジニア、建築設計・施工の仕事を経て、2011年に企画事務所を立ち上げる。領域を問わず、幅広く企画・プロデュースを手がけ、2013年からは大阪芸術大学、奈良県立大学などで講師を務め、2023年から現職。
滝村雅晴
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株式会社ビストロパパ代表取締役。パパ料理研究家・ありがとう料理研究家。会社勤務を経て、食育、共食(トモショク)、男女共同参画、WLB、働き方改革を、男性の家事料理参画から推進する、日本で唯一のパパ料理研究家として活動。農林水産省の「デジタル食育ハンドブック」(農林水産省)監修・推進。令和6年度 消費者庁 消費者支援功労者表彰 ベスト消費者サポーター章。

