2050食生活未来研究会

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2050みらいごはん通信 Vol.1

田中浩子の概念は生きている!
2050みらいごはん再始動

2018年に起ち上げた2050食生活未来研究会(2050みらいごはん)。研究ユニットリーダー田中浩子の逝去を乗り越え、新たに動き始めました。社会が大きな変化を迎えている今、食はどのように2050年の未来へ向かえば良いのでしょうか?ともに2050みらいごはんを描いてきた研究ユニットメンバーの二人が、田中浩子の遺志を引き継ぐ夫・田中勝久の問いに答えます。

― 3人プロフィール ―

  • 田中 勝久

    京都大学大学院工学研究科 教授。京都大学工学部工業化学科卒業、同大学大学院工学研究科修士課程工業化学専攻修了。工学博士。専門は固体化学、無機化学。妻・田中浩子の遺志を引き継ぎ、2050食生活未来研究会(2050みらいごはん)を再始動。

  • 東山 幸恵

    愛知淑徳大学健康医療科学部 教授。同志社女子大学家政学部食物学科管理栄養士専攻卒業。名古屋市公務員栄養士として、名古屋市立大学病院に勤務。専門は小児栄養。

  • 小椋 真理

    京都文教短期大学食物栄養学科 教授。同志社女子大学家政学部食物学科管理栄養士専攻卒業。大学の助手などを経て、給食会社の顧問管理栄養士としてスポーツ栄養プロジェクトを立ち上げ、スポーツ栄養におけるビジネスフィールドを開拓。 2008年北京オリンピック女子バトミントンチームに帯同。

新しい未来へ向けて 2050みらいごはん

勝 久
家内である田中浩子が永眠したのが2021年9月14日。これは青天の霹靂で、とんでもない衝撃でした。悲しみの日々を過ごす中で知ったのは、家内は僕の想像以上に多くの人から慕われ愛されていたのだということ。生前は夫婦でお互いに好きなこと・やりたいことをやっており、家内の活動の詳細は知らなかったのですが、関わりのあった方々から話を伺い、気持ちを共有するにつれ、「家内がいなくなっても、家内のことをこれで終わりにしたくない。家内の考えてきたことは生きているし、それを引き継いでいかないといけない」と強く思うようになりました。この1年ほどはいろいろな方々にいろいろなイベントを催していただきましたが、2050みらいごはんもいよいよ再始動。未来へ向けて、継続的に取り組んでいくということで、僕自身楽しみにしています。どんな展開が待っているのかなとワクワクしています。 再始動の第1回のクロストークは、家内と大学の先輩・後輩という間柄で、長い間、食に関するさまざまな活動をともに行ってきた小椋真理さんと東山幸恵さんをお迎えしました。このような改まった鼎談では、小椋先生・東山先生とお呼びすることが適していると思われますが、今日は生前の家内に倣って、真理さん・幸恵さんと呼ばせていただきますのでご了承ください。
小椋・東山
はい!
勝 久
真理さんはスポーツ栄養・アンチエイジング、幸恵さんは小児の臨床の立場での食を専門としていらっしゃいます。前回の鼎談は、家内の「これからいろいろ提案していきましょう」という言葉で終わっていました。 そこで、お二人が専門の立場から考えていること、あるいは家内がやろうとしていたことをどう感じておられたか?今はどう感じておられるか?2050みらいごはんでどういうことをやりたいと思っているか?2050みらいごはんの今後について提案していただきたい。まず、真理さんの考えをお聞かせいただけますか?
小 椋
前回の鼎談はコロナ前でした。社会情勢も変わり、私たちの食生活も変わり、自分自身の考えの中でも食というもののあり方が変わってきたというのは正直なところあります。私は、もともとスポーツ栄養を研究していたのですがアンチエイジング…というよりもプロエイジングに重心がかかってきました。
勝 久
プロエイジングですか?
小 椋
はい。コロナ禍を挟んでアンチエイジングよりもプロエイジングの方がしっくりいくな、と思い至りました。予防医学として捉えると同じかもしれませんが、アンチエイジングは「加齢に抗う」、それに対してプロエイジングは「プロ=肯定」の意味があり、加齢を前向きに捉えて予防してゆく意味合いがあります。人生100年時代に求められるのは、年齢を受け入れつつ、いかに前向きに楽しく生きられるか。当然コロナ前とコロナ後で求められているものが違うし、私たちがやっていかなきゃいけない分野や範囲も違ってくる、そんな話を浩子さんともしていました。みらいごはんのクロストーク第3回に登場した百武先生は「食」生活なの?と仰っています。私自身も、食だけではなく生活全体を見ていく必要があるんじゃないかという思いをこの数年で深めています。
勝 久
もう少し詳しく聞かせてください。
小 椋
私は、どんな食を摂ればいいのかという「食」の視点でプロエイジングを探ってきましたが、最近は「睡眠」も研究対象に含めるようになってきました。例えば、研究のひとつに<食事内容の違いによる夜間血糖を見る>がありますが、食事の違いだけでは片付かないんですね。睡眠時間、睡眠の深さ、どんな布団でどんな環境で寝ているんだろう、などいろいろなバイアスがありすぎて個人差がある…。何に影響されているんだろう?と突き詰めていくと、トータルに考える必要がある、いわゆる生活環境が重要なんですね。その中でも、食は生きていくために重要なこと。誰と一緒に食べる、どんな環境で食べる、また温度や香りも音も関係してきます。そういうことを踏まえてトータルに捉えていく、つまり食を専門とする私たちと他のさまざまな専門の方たちがコラボしていかないと、私たちが目指すところには到達できないのではないかと感じています。
勝 久
なるほど。
小 椋
「2050年の食を考えていこう」と動き始めた時、浩子さんの言ったことが今も心に残っていて。
勝 久
どんな言葉ですか?
小 椋
「今、私たちが入りたい老人ホームや、生活していきたい環境はある?私たちが歳を取った時、もっと楽しく暮らしたいし、もっともっとおいしいものも食べたいし、もっといい環境も欲しいよね。そういう環境やシステムはある?それを作っていくのは私たちだよね」って。その言葉が2050みらいごはん始動のきっかけ。最近、頻繁にその言葉を思い出しますね。
勝 久
それは、僕にとっても切実な問題になりつつある(笑)、良い環境を考えて欲しいですね。

最期まで自分らしく生きるとは?

小 椋
私事になりますが、2020年の2月に私の父が亡くなりまして、最期の1週間をホスピスで過ごしました。そこでは自分のために歌を歌ってくれるコンサートがあったり、ティータイムにはコーヒーを淹れてもらったりして、非常に楽しい時間がある。ある意味理想的なところで、もっと早く入れてあげたらよかったと思いました。在宅での看病は私たちも必死で、誰もサポートできない時は「テレビを見ててね」という感じだったのですが、ホスピスでは誰かが寄り添ってくれて最期の時間を生きているんです。亡くなる前日は「お肉を食べたい」と言って、付け合わせのニンジンのグラッセまで全部食べたと聞きました。そういう話を聞くと、最期まで好きなものを食べて好きなことが経験できるというのがいいなと。父の経験を通じて、改めて環境が整うことはすばらしいなぁと思いました。
勝 久
そうですね。
小 椋
もうひとつ加えると、私の祖母の妹は102歳で、今も元気なんです。お正月にはすき焼きをいただきながら、日本酒を嗜みますし、チョコレートケーキも大好き。すばらしいことに、全部自分の歯でなんでも食べるんです。祖母も94歳で亡くなるまで全部自分の歯を維持していました。80歳過ぎてからも、私と一緒に出かけた時には、「真理ちゃん、グラタン食べない?」とバタートーストにグラタンという組み合わせを好んで食べていました。嗜好が欧米化しているんですよね。でも、子どもの頃の食生活を聞いてみると、大豆や煮干しなど固いものをたくさん食べさせられたと言っていました。今好きなものを食べ、元気に生き生きと過ごしているのを見ると、絶対に崩してはいけない部分と好きにしてもいい部分があるんだと思わされます。ただ、それがどれぐらいまで許されるのか、個人差がどのぐらいあるのか、わからないことは多いです。でも、健康に生きるために窮屈な生活をしていくのがすべてじゃないと最近感じています。

健康とともに環境も大事

勝 久
なるほど。個人差もあるのでしょうね。人によって何を摂るべきかが違う。お医者さんや管理栄養士さんは、食生活で血糖値が高い人に「糖尿病にならないためにこういうものを食べなさい」と指導するでしょう。でも、必ずしもそれだけじゃないかもしれないという話ですよね。十把ひとからげで「これがダメ」「あれがダメ」というのではなくて、睡眠も食も大事。食べるものも、人によって影響に差があるかもしれない。体質って言うと、ひとことで終わっちゃうけど。
小 椋
ストレスも関係してきますよね。
東 山
1型糖尿病の患者さんの会に出て、お話を伺っていると、「今日は夫婦喧嘩したからインスリン多めに打ちます」なんて人がいっぱいいるんです。ストレスが溜まると血糖値上がっちゃうんですよね。「職場で嫌なことがあったからインスリン多めに」も聞きますね(笑)。 私たちは、どうしても食事からの視点を養いがちです。でも女性の場合、月経の周期も関係あります。男女関係なく、ちょっと体調が悪い状態なら、血糖値も上がります。食事だけではないのですが、食事は自分でコントロールできる。そういう点で、良くも悪くも食事に全部帰結しようとする面はあります。数値が悪いと患者さんの節制がなってないとやりがちですけど、決してそんなことじゃなくて、コントロール外のところにも要因はあるんですよね。そこをわかっていないと、患者さんにとって辛い栄養士になります。だから、睡眠の話を興味深く聞いていました。
小 椋
糖尿病の患者さんは睡眠不足の場合、翌日の血糖値が高くなることがありますね。今、研究データを取っているのは健常人です。日中も夜間も測りますが、夜間に測定すると低血糖になっている人もいます。それがなぜなのか、まだ判明していません。食事の摂り方によって、食後の血糖値の上がり方に違いがあることはわかってきましたので、「白ごはんから食べないで、おかずから食べましょう。野菜から食べましょう」と言われるようになってきましたが…。私も測りますが、食べてないのに血糖値が高くなることもあるんですよ。それで、その時間に何を食べたかな?と考えて、「あ、学生に怒っていた」に行き着くことも(笑)。戦うホルモンが出ている時は、ずっと140mg/dlオーバーです。
勝 久
今の話だと時間によっても数値が変わってくることになりますが、140って高いですよね。 それにしても、ストレスってやっぱり大きいんですね。しかも、ストレスって結局何なのか、よくわからない。多分、普段からストレスは感じているのでしょうね、皆さんそれぞれね。夫婦喧嘩したからストレスがかかるっていうようなことはわかります。でも、自分では感じないストレスを受けていることもあるのでしょうね。
東 山
引っ越しや結婚など暮らしが変わるときにもストレスはかかりがちですね。
小 椋
ワクワクする方で忙しくて、ストレスを感じるのはいいのかもしれないんだけども。やりたくないことを抱えているストレスは負担に感じますね。
勝 久
嫌なコトで、嫌な仕事で時間追われたりするのはストレスですよねぇ。
小 椋
そう考えると、やっぱり食だけで考えていてはダメなんですよね。環境まで踏み込んで、ストレスを減らすようにしないと。食は健康のためだけど、楽しみという一面もあります。人との繋がりにもなるから、コミュニケーションツールとして食を捉えるなど、多方面から見る必要があると思っています。

食環境を社会の仕組みとして考える

勝 久
幸恵さんは2050みらいごはん、どう捉えていますか?
東 山
スタートは「自分が70歳80歳になった時にどんな暮らしをしたいか?」でした。真理さんから歯の話題も出ていたので思い出しましたが、以前、70歳近い方と話した時に「歯のホワイトニングをしたい」と仰っていて、70代80代になっても美しく、楽しくありたいという気持ちは変わらないんだなと。老いをカバーするというニーズは潜在的にあるのではないかと思います。 そういうことを踏まえると、食の分野でも「何歳になったらこういう食生活をしましょう」という提案ではなくなってくるだろう、どんどん変わってくるだろうと予測しています。 ところで、勝久先生の食生活はいかがですか?
勝 久
意識していますよ、割と。朝はあまり食べられないけど、トーストかシリアル。それにゆで卵やバナナをプラスすることもあります。家内が紅茶好きだったから紅茶は二人分淹れて。これはもう毎日やっていますね。ひとつは家内の遺影の前に持っていって、もうひとつは自分で飲んで。昼食・夕食は、自分で料理を作ってこなかったこと、今は実際作る時間がないこと、このふたつの理由から外食か惣菜。昼は職場である大学の生協で弁当を買って食べています。夜はお店で食べるか惣菜を買ってきて家で食べるか。家内が他界する直前に僕に対して「野菜をしっかり摂って」と言っていたので、これは肝に銘じています。
東 山
今の勝久先生の話に、浩子さんのプロジェクトのエッセンスがあると思いました。 ひとつは「料理をしない人、どうする?」、もうひとつは「外で食べる時どうする?」。仕事から帰ってくるのが遅くて、料理ができないような状況の時の食をどうする?というのはテーマのひとつでした。浩子さんは常々「料理をできない人が不健康になっていいの?」と仰っていらしたんですね。そこも浩子さんを突き動かしたパワーの原点。食環境を個人のスキルだけじゃなくて、社会の仕組みとして多方面から考えていこうと話していました。
勝 久
なるほど、社会の仕組みとしてね。何を摂るかによるのだけれど、外食ではどうしても野菜不足になってしまいます。中華料理を食べに行ったら、せめて八宝菜を食べるといった努力はしている(笑)けどたまにチャーハンとラーメンを、「これはいかんな」と内心思いながら食べることも。そういう時は、昼はラーメンとチャーハンを食べたから夜は控えめにしようなど、ある程度考えながら食べるようにはしています。
小 椋
それ、大事です。昼は肉料理だったから夜は魚を食べようみたいな心がけ。それができるかどうかは大きいですよ。
東 山
そうですね。食べることへの勘どころ。

食習慣を変えるのは難しい?

小 椋
印象的なエピソードがあって、海外で活躍したいというアスリートから自分の食生活を見直したいと相談を受けたことがありました。食事のデータを見たら、鶏の唐揚げ弁当と鶏の南蛮弁当の繰り返し。鶏が大好きで、特に揚げものが大好き。だから、買うとしたら鶏の揚げもの一択で、それ以上のレパートリーを増やすという考えを持っていなかったんですね。それで「なぜ、いつも唐揚げ弁当なの?」と聞いたら、「バイト先でお弁当が準備されていて、どれを取ってもいいので好物の唐揚げ弁当を選んでいます」と。本当に毎日飽きることなく鶏を食べていて驚いたのですが、でもそれを普通だと考える人もいるのかとも思いました。
勝 久
それはよくわからないね。飽きないのかな?いくら好きでも毎日食べるっていうのは。
小 椋
急に、「これに変えなさい」と言っても、長年続いてきたものを急に変えるのは難しいですね。できることのバリエーションを少しずつ増やしていきましたが、かなり段階を踏みました。いきなりは難しかったですね。
勝 久
話を聞くと、それは難しいかもしれない。
小 椋
はい、そのアスリートはタイムリミットも迫っていたので、体を作りたい、でも体は今日明日でできる訳じゃない、しかも長年の食習慣を急に変えることもできない。気持ちはあるけれどでき上がってしまった習慣を変えるというのが大変でした。一方的な「変えなさい」では無理なんですよ。自然に変えていけるというか、いや、変えるというのがいけないのかな?自然といつの間にか変わっていたという状態に持っていけるのが一番いいのかなと考えさせられる経験でした。このことを通じて、自分が知っている味や想像ができるもの、安心があるものは食べるけど、初めてのものにはなかなか手が出ない人もいれば、食べたことのないものでもどんな味なんだろう?ちょっと食べてみようかなと心が動く人もいると知りました。
勝 久
僕は何でも食べたいから、初めてのものがあったら、そちらを選びます。絶対一回食べてみたい。だって食べてみないとわからないからね。食べてまずかったらそれでいい。
小 椋
珍しいものを食べたい人もあれば、オーソドックスなものを食べたい人もいるってことなんですね。これからは、そういうニーズに答えないといけないし、一人ひとりの環境に合った場所が必要になるでしょうね。

多様性が求められるこれからの選び方

小 椋
ある会食で私がお店を手配することになった時、こんなことがありました。いろいろなお店を探して、お薦めのお店のリストアップをお送りしたところ、「申し訳ないのですが、できる限り粗食がいいんです。できればタニタ食堂のようなヘルシー系やオーガニック系の飲食店にしていただけませんか」と言われて。あえて、「粗食」を掲げるお店を外して、コース料理をいただける和食やフレンチを選んでいたのですが、ニーズがそういう所に来るんだという驚きがありました。好みや食へのこだわりに合わせて多様なラインナップを揃えないといけないと思いましたね。 そんなできごとがあったタイミングで、百貨店に行ったら、ちょうどバレンタインシーズンで。いろんなメーカーさんのオレンジピールチョコレートだけで構成されたマトリックスがあったんですね。すごい数のオレンジピールチョコレートがあったのですが、お客さんはそれを見て、自分の好みのチョコレートを見つけていました。「こんな表示の仕方があるんだな」と感心しましたし、お店やお弁当、お惣菜でもマトリックスを作れるのではないかと。自分の好みを自分で調べていく、あれは面白いと思いましたね。
東 山
今の話を聞いて、浩子さんからお聞きした「ジャムの種類が多いとむしろ迷うことになり、売り上げがイマイチになる」というマーケティングの話を思い出しました。数を絞っていく方が、選びやすくて売り上げが上がると。選択肢はあるけど、ある程度決まっている中での選択。
小 椋
これだけしかない、ではなくて、ちょっと選べるっていうのは魅力ですよね。
勝 久
それはそうですね。そういうレストラン・食堂、ないことはないけど…。昔は結構あったものです。特に学生が下宿している界隈にはありました。大学の生協はそれに近いかも。結局、自分の食べたいものを好きなだけ食べたい。つまり、食を楽しむことも大事だし、一方で健康も重要です。外食において、そこのバランスはどうなっていくのでしょうか?どんな風に変わっていくのか、どう変えるべきなのか、ご意見ありますか?
東 山
あっさりしたものを食べたい人もいれば、固いものを食べたい人もいて、さらに柔らかいものしか食べられない人もいます。歯が痛いからスープを食べたい日もあるでしょうし。これは、別に年齢を問わないことですが、人口が減って高齢者が多くなってくる日本においては、ニーズがより多様になってくると思うんですね。高齢化した社会にはいろんな人、多様な人生の歩みがあります。そこにいろいろ選択肢がある、そんな世界を目指していけたらいいというのがみんな共通の思いかなと思います。
小 椋
そうね。
東 山
食べられるものや、食べたいものがさっと出てくる仕組みがあるとうれしいでしょうね。自分がやればいいんですけど、代行してくれて、22時ぐらいまで営業している。「何が食べたいの?」「これでどう?」みたいなやり取りがあるお節介を焼いてくれるごはん屋さん。
勝 久
それはありがたいですね。
東 山
行っちゃいますよね。あったらいいなと思うお店が近くにある社会っていいなと思います。一人でも食べられるし、仲間で行ってもいい。お店の人がちょっと喋ってくるぐらいの距離感で。近寄りすぎず、ひとりの時間も確保できる、そういう空間が欲しいですね。
勝 久
そういうのが近くにあったら毎日通うかもしれない。ひとつの形かなと思いますね。

コロナ後のサードプレイスとは?

小 椋
コロナ禍になってリモートワークという新たな働き方が加わりました。これまでとは異なる家時間の過ごし方となり、上手くいく家庭もあれば、上手くいかない家庭も出てきたことが指摘されています。
東 山
息詰まっちゃう。
小 椋
そういう問題が生じるので、リモートワークをする人が増えました。でも家庭とは別の場所、サードプレイスを持った方がいいのではないでしょうか。食事だけではなく、必要なものが全部整っていて居心地もいい空間。仕事関係の方が来る場所なら、そこから新たなビジネスが広がる可能性もあります。様々な立場や年齢の人が、それぞれの目的に応じて集まる空間があってもいい。多彩な空間を作っていくことが必要でしょうね。私たちのように食だけを考えている人ではなく、もっと大きな目で見ている人の知恵や行政の参入も必要かもしれません。勝久先生のような異分野の方が入ってきて、なにかを提案することでより良い空間を作っていくのもいいですよね。広い目で見て、そこに向かっていかないと、2050みらいごはんは望ましいものにならないんじゃないかなと思います。
勝 久
そうですね、大事な視点だよね、それは。
小 椋
食の専門家として、食だけを見ると視野が狭くなります。多様なニーズに対して、何をどう提案していくかは難しい問題ではあるのですが、必要なことやサポートできることをキャッチして、さまざまな分野の人々をつないでいく、そんな場が2050みらいごはんでもあるのかな。
東 山
私は岐阜在住なんですけど、地元の総合病院が新しい「食の場所づくり」に取り組んでいます。その名もカムカムスワロー。スワローは英語で飲み込むという意味があって『「食べる」を通じて地域と医療をつなぐ認定栄養ケア・ステーション』を謳っています。そこには栄養士や歯科医師などの専門家がいて、何でも相談のある人は来てくださいね、としているんですね。見た目はすごくおしゃれなカフェです。普通にお母さんたちが来てお喋りしてもいいし、コーヒーも飲める。ただ、コーヒーはむせないようにとろみのつけたのも出せるという点が病院発信ならでは。これがベストモデルかどうかはわかりませんが、これもひとつのあり様だなと思いました。開放感のある気持ちいい空間で、栄養士さんや歯医者さんが相談も乗ってくれて、お喋りもできて、モーニングも出て。近くに高校もあるから、高校生が勉強していることもある。そういう意味で、サードプレイスという面はあるのかな。
勝 久
そういう空間や環境は非常に大事ですね。食事だけではないってことね。どういう場で誰と過ごすのか、ひとりでくつろいだり、誰かと仕事したり、いろいろなニーズがある。それは確かに未来志向のひとつの形かな。
東 山
「公」でもないし「私」でもない、でも共有するスペースに対して、街の作り手としての自分で、街を有機的に変えていくためにできることがないか、と百武先生が仰っていて、確かに自分の暮らしにこういうのがあったらいいなということを、街のレベルで考えるというのは大事だなと。
勝 久
そうですね。行政がそういうことに取り組んでくれるといいけど。行政に頼っていたらダメなのかな。暮らす人から盛り上げていくということの方が大事なのかな。
小 椋
この頃そういう意識が高い人が増えてきているなとは感じますね、特に20代30代。
勝 久
なるほどね、いいことやね、若い人がそういうことを考えてくれるっていうのは。

「食べる・眠る・運動する・ワクワクする」が
プロエイジングの秘訣

小 椋
プロエイジング志向でいくと、食はもちろん大事ですが、睡眠・運動も大事です。それに加え、趣味や興味関心をもったことなど、こんなことができるようになりたいという欲求、「何かしたい!」というワクワク感が大事。ワクワクするということは、要するにホルモンが出て元気が増していくことなので。100歳を超えた百寿者の方たちは、病気を患っていないわけじゃなくて、高血圧もあるし、骨粗鬆症もあります。大体半分以上の方が病気や身体の不調を抱えていますが、癌と糖尿病を患う人は少ないそうです。食生活もその要因のひとつですが、皆さん、いつまでもワクワク感を持っていて、「これができるようになりたい」「何々さんとこんなことしたい」と思っている。空間や食も大事だけど、ワクワク感も伴わないといけないんですよね。私もちょっと新しいことにチャレンジしたい。 日本の伝統文化、そういったものを勉強したいですね。食と直接関係ないけど、文化的な志向は大事なのかな、と。
勝 久
何か具体的に始めていますか?
小 椋
去年思い立って、ノープランで金沢に行きました。和菓子づくりの体験をしましたが、楽しかったですね。材料はシンプルだけど職人技が息づいていて、こういうものを伝えていかないといけないなと思いました。特に印象に残ったことは、加賀友禅染体験!小さな牡丹の花を完成させるのに1時間かかるんです。「こんな小さな花に1時間も?!」って驚きつつも、ぼかしも教えていただいたりして。
東 山
手を動かすっていいですよね。
小 椋
その間は、日常のことや仕事のことは全く考えませんでした。 美しく塗ることだけを考える、その時間がすごく新鮮でしたね。日本にはさまざまな文化や食があってここまで来ているなと改めて感じいった有意義な時間でした。 でも、現実は職人さんが減っているし、この良さが段々廃れています。 新しいものを生み出していくことも大切ですが、日本文化の古き良きものを繋いで、残していくことも必要です。食だけにこだわりすぎない視点、それも2050みらいごはんの視点のひとつでしょうね。
東 山
いいですね!いいと思います。
小 椋
ワクワク感、やりたいものを常に持つのは大事。食・運動・睡眠、そしてワクワクできる、そういう空間ができたらいいですよね。「私もやりたいわ」と手を挙げる人が増えてくると、みんなのワクワクがもっと増すだろうし。新たな産業ができるかもしれない。
東 山
研究仲間である美術の先生が言うには「ものづくりは、自分一人でもできるし、集まって数人でもできるのが面白い」。その場に会話はなくてもいいんです。「黙って、描いたり、刺繍したり、何か作ったり。みんな相手じゃなくて、自分のところだけを見ているけど、空間は共有している。あの感じがすごくいい。ゆるーく繋がってるけど、でも自分のペースがある」。誰がいても構わないという考えがすごくいいと思いましたね。
勝 久
それは別に一人でやったっていい訳ですよね。自分の家で一心不乱に絵を描くとか。
東 山
一人でもやってもいい。でもみんなが集まって、それぞれがやりたいことをやるっていう場所があっても面白いですよね。
勝 久
十人十色で、やりたいことが違うし、ワクワクする対象も違いますからね。
小 椋
勝久先生は何にワクワクします?
勝 久
僕はずっとサイエンスが好きで、宇宙のことを考えるだけでワクワクします。宇宙ってとんでもないことになっているでしょ?地球なんて小っちゃいものですよ。生命も不思議です。わからないことが多い。食や健康の話と関係すると思うけど、脳の働きでも全然わかっていないことがある。新しくわかってきていることもあるけど、まだ結構わからないことも多いですよ、この世の中、自然界は。それは自分で研究することでわかるようになってもいいのですが、誰かもっとすごい人、それこそコペルニクスやアインシュタインのような天才たちが明らかにしたことを勉強して、なるほど自然界はこういうカラクリなんだと勉強するのも楽しいですね。いろんなことが知識として入ってくるのはすごく面白いなと思います。僕も人生、まだ少しあるから(笑)、これから先を考えていく上では、そういうワクワクするものがあるのは大事。

コロナ禍の食をめぐる変化

勝 久
2050みらいごはんは2018年に始動して、2019年から田中浩子とさまざまな分野の識者によるクロストークが始まりました。コロナ禍となり、食において変化はあったのでしょうか?
東 山
コロナではなくても、食の多様性は出てきたと思います。私は、病気のお子さんたちの臨床の栄養学を専門としていますが、脳性麻痺などの重症心身障害児、いわゆる医療的ケア児の生活を保護する法的なシステムが整ってきました。医療的ケア児の中には、チューブや胃ろうでの栄養摂取が必要な子や、噛むことが難しくペースト食を求める子などがいます。多様な食が必要ですが、ミキサーをかけたごはんの提供などがちょっとずつ知られるようになってきていることを実感しています。ただし、私がこの世界にいるからわかっているだけの部分もあるかもしれないので、この実状をもっと知って欲しいという思いはあります。
小 椋
それぞれの個性が認められる世の中になりつつあるかもしれないですよね。今までの日本は、年齢で区切って、「子どもたちはこうしなさい」「成長期はこうしなさい」「成人になったらこうしなさい」「高齢者はこうあるべき」みたいな面があったけれども、そうではないという視点が出てきました。 食の分野についても「こうすべき」「あれはダメ」「管理栄養士なんて要らないでしょ」というのがなくなってきましたね。
東 山
レイヤーがちょっとぼやけてきました。ジェンダーのことなども含めていろいろあって当たり前というような、ふわっとしてきた感じがあるのがすごくいいなぁと思います。
勝 久
それが自然なんやろうね。そうでないとおかしいもんね。
小 椋
食に関して言えば、デリバリーやテイクアウトなどが増え、今までにない食環境が定着したと感じています。私自身、時流に乗っかってみよう、デリバリーやテイクアウトを利用しようといろいろ試して、自分の中での食環境が広まりました。一方で、コロナ禍での行動制限から宴会や外食の機会が減り、気軽に他人と食事ができないなど食環境が狭くなったと思う人もいると思います。世の中の変化によって、食への価値、感じ方が変わった人はいるだろうなと思います。
勝 久
価値観の変換はあるでしょうね。
小 椋
身近なところでの話になりますが、「家族一緒に食べることの幸せを改めて感じた」と外食派の友達がつぶやいたことはコロナ禍ならではの発言で衝撃を受けました。コロナ前に戻るのかというと、コロナ前には戻らないでしょうね。新たな食生活、食環境がこれからまた生まれていくでしょうし、新たに入ってきたものは今後も広がっていくでしょう。いずれにしろ、食はなくならないと改めて感じているところではあります。

役割を決めつけない小さなコミュニティの実現を

東 山
私はちょっと心配ごとがあります。
小 椋
どんなこと?
東 山
小学生を対象にしたアンケートで、給食についてコロナになって嫌なこと・良いことを聞いたら、「黙食だからひとりで食べるのは寂しい」という子たちの中に、そこそこの数の子が「一人で食べられるから嬉しい」と答えていたんですよね。実は給食時間って短いので、黙食になると食べることに集中できて、しっかり味わえます。でも、その子たちが大学生になった時、「ゼミのコンパでみんなで食べるのは嫌です」なんて言われるのではないかと心配しています。
勝 久
あまり親しくない人や仕事上の付き合いだけの人と会食するのは、リラックスできないということは、どの年齢になってもあるでしょうね。
小 椋
浩子さんもよく言っていたけど、誰かと話しながら食べたい時もあるし、ひとりになりたいから放っておいて欲しい時もある。ひとつのコミュニティ・空間の中でその両方ができるのが理想ですよね。
勝 久
僕もそれ、大賛成です。そういうコミュニティいいですね。ひとりになりたい時もあるし。
小 椋
小さなコミュニティがあって、状況に添いながら参加の形や役割が変わっていくことができるのが良いのではと思いますね。作る人、食べる人と役割を固定しないのが望ましいですね。
勝 久
昔、そういうコマーシャルありましたよね。「私作る人、僕食べる人」、あれは差別だと問題になりました。だいぶ意識は変わってきましたね、そういう意味では。
小 椋
作ることも食べることも流動的に自然とできればいいんですよね。
勝 久
そうですよね、実質的にね。
東 山
そういう考え、価値観は一気に進みましたよね、ここ数年で。浩子さんもよく言っていました、「自分たちの理想に、想定よりも早く近づけることができるかもしれない」と。確かにそうだなと最近思います。
勝 久
家内の理想…まだ伺いたいことはありますが、そろそろ時間のようです。本日はありがとうございました。また語りましょう。